幻影ヲ駆ケル太陽~こぼれ散るは運命の砂~
episodio2 予感
「堪えろ! 飛ばされるな!」
「は、はいっ!」
厳しさを宿すアリエル教官の言葉に緊張感を覚えながら、ひなたとアメリーは、同時に返事をする。
強い風が吹き荒れている。踏ん張っていないと、すぐにでも飛ばされそうだ。
テネブライモードに変身したひなたは『太陽』のカードから取り出した剣を──。アメリーはボーガンを──構えることもできず、ただ、握っている。
二人の目の前にはダエモニアという、一体の魔物がそびえ立っている。身体全体に丸いボールのような物を纏い、咆哮しながら絶えずその姿を変えている。いくつものボールが反転すると、それはギロっと二人を睨み付ける目玉だった。
「いやぁぁっ、無理! 絶対無理~!」
アメリーは恐怖のあまり、ぎゅっとひなたの袖を掴んだ。その瞬間、追風が二人を煽る。
「きゃっ!」
飛ばされた二人は、意に反してダエモニアの目前に突っ込んでいく。
「ひっ!」
ひなたとアメリーは、思わず後ずさる。
「戦え! 逃げるな!」
少し離れたところで見ているアリエル教官の檄が飛ぶ。隣にいるエティア校長は、黙ってひなた達を見つめている。
「も~なんなのこれ~! こんなことなら、覚醒なんてしなきゃよかったよ~!」
「今さらそんなこと言っちゃダメだよ! とにかく、目の前のダエモニアを何とかしなくちゃ!」
ひなたは、ずっしりと腕にかかる重さを感じながら、剣を構える。
えっと、基本の構えをしなくちゃ……!
頭の中で、教えられた剣の構えを、一生懸命思い出そうとする。その瞬間。
「来るぞっ!」
アリエル教官の叫び声がする。考えるより先にひなたの身体が動く。
ボールのような目玉が一つ、ひなたに向かって飛んでくる。ひなたは軌道を見極めながら、自分の上半身ほどある長く大きな剣を、力いっぱい振り上げる。
「はぁぁぁっ!」
空を切り裂きながら振り下ろされた剣は、的確に芯をとらえ、真っ二つに目玉を叩き斬った。
「いいぞ。今の感じを忘れるな」
「はいっ!」
アリエルの激励に、思わずひなたは安堵の息を漏らし、一緒に戦うアメリーの方を見る。
だが、アメリーはボウガンを闇雲に乱射し、その矢はことごとく外れていく。
「もっとしっかり狙え!」
「ちゃんと狙ってま~す!」
アメリーがアリエル教官に口答えしたその瞬間、ボウガンの矢がなくなり、球が剛速球でこちらへ向かってくる。
「ひっ!」
「アメリー!」
とっさにひなたは、アメリーに加勢しようとする。だがその瞬間、目玉ボールが一斉に二人に襲いかかる。ひなたの剣だけでは、裁ききれない数の目玉だ。
二人は思わず目を瞑る。
なすすべなく、ひなたとアメリーはその目玉ボールの雨を全身で受けた──。
「今日の訓練はここまでだ」
「……ありがとうございました」
アリエル教官の言葉に、ひなたとアメリーは解放感からホッと胸をなで下ろした。
仮想アストラルクスを再現する、巨大な鳥かごのようなシミュレーション訓練機から一歩脚を踏み出すと、軽い浮遊感に襲われる。ひなたは、ゲームセンターに行ったことはなかったが、多分、何時間もゲームをした後は、こんな感じなのかもしれないと思った。
覚醒してから一週間、ひなたとアメリーは朝の六時から始業時間まで、エティア校長とアリエル教官の監督の下、ここ、セフィロ・フィオーレ研究棟で実戦訓練を行っていた。研究棟は、時計塔がそびえる裏山を越えた場所に建っている。二人は、無機質なコンクリートに囲まれた建物の間にある、渡り廊下を歩いていた。
「何でこんなことになったのかな~」
ため息混じりに、アメリーがつぶやく。
「あたしはさ、アストラルクスに入ったら、ドキドキして、楽しいことがあると思ってたのに、こんなハードな訓練ばっかり~!」
「仕方ないって。『エレメンタル能力』を使いこなすためだよ」
「うー、あーもう無理! ダエモニアを倒すとか、絶対無理だよー!」
「もうちょっと頑張ってみよう。ね?」
「……やるしかないのかな~。せめて一撃で倒せる必殺技とかあればいいのに!」
アメリーはもう一つ、深いため息をつき、もう一度言った。
何でこんなことになったんだろう──。
その言葉にリンクするように、意識せず、ひなたも小さく息をつく。覚醒したあの日、時計塔でエティア校長とアリエル教官が言った言葉が頭の中で静かに響いた。
「あなた達にしか入れない空間──これが本当の、アストラルクスです」
エティア校長は、授業中に他の生徒達がトランス状態になった『アストラルクス』とは、違うものだと言った。
──アストラルクスとは、現実世界と死後の世界の間にある、異世界なのだ、と。
「そうですね、具体例を挙げましょう……例えば、ひなたさんが、アストラルクス内で机を壊し、現実世界に戻って来たとしましょう。そうすると、机は壊れてしまったままなのです」
「ってことは……アストラルクスで起こることは、現実世界に干渉するということですか?」
自分なりに解釈しようと、ひなたは二人に質問する。
「ああ、そうだ」
「ですが、アストラルクスに入れない人間は、机を壊すひなたさんの姿を見ることはできません。机が壊れたことは、突然起こった超常現象として、その目に映るのです」
現実と繋がっているようで繋がっていない。
人から見えているようで見えていない。それはまるで、幻影のような世界──。
「『エレメンタル能力』は、アストラルクスでしか使うことができません。これからあなた達はアストラルクスに入り、任務を遂行してもらいます」
「任務?」
アメリーは小首を傾げている。その横で、ひなたは弾んだ声で尋ねる。
「もしかして、人を助けることができるんですか?! この『エレメンタル能力』で!」
すると、エティア校長とアリエル教官は、静かにひなたとアメリーを見つめた。その視線に、ひなたは一瞬、どきりとする。
おばあちゃんがタロットのことを話してくれた、あの時の顔。優しくて、それなのに、
なぜか深い哀しみを隠したような──。
だが、ひなたがそう思ったのはほんの一瞬で、エティア校長は、すぐにいつもの柔らかい表情に戻る。
「ええ。そうですね」
エティア教官が微笑んで促すと、アリエル校長は、細いメガネを指で押し上げた。
「任務とは……ダエモニアを倒すことだ」
「ダエモニア……?」
その聞き慣れない言葉に、ひなたとアメリーは思わず顔を見合わせた。
「ダエモニアは……人間の邪悪な感情を好む悪霊です」
エティア校長が淡々と続ける。
「人間が持っている妬み、恨み、虚栄心……その心につけ込み、欲望を叶えることを条件に、人間と契約しようとします」
「契約……?」
「悪魔に……魂を売るようなものです」
「そんな……!」
エティア校長の言葉にひなたとアメリーの顔が思わず強ばる。
「ですがそれは……不幸の始まりに他なりません」
「そのダエモニアを倒せるのは……私達が持つ、『エレメンタル能力』だけ……」
「我々セフィロ・フィオーレは、ダエモニアを殲滅せんめつするために作られた組織だ」
「じゃあ、人を救うというのは……」
尋ねるひなたに、エティア校長とアリエル教官は静かに頷うなづいた。
「今現在、この余津浜で戦えるのは、あなた達と私達の四人だけ……」
「我々にしか、できないことだ」
真面目な二人の表情に、ひなたとアメリーも自然と顔が引き締まる。
「危険が伴います……ですが……」
「だったら迷いません」
静かに、燃えるような瞳で、ひなたが言葉を発する。まるで、自分の中にある太陽の力に誓うように。
「この力で、人を救うことができるなら……
私は戦います」
「あたしもです。ちょっと怖いけど……頑張
ります」
二人の言葉に、エティア校長とアリエル教官の顔が、少し緩んだ。
だが、現実は厳しかった。
シミュレーター訓練機のダエモニアとはいえ、実戦を想定した物になっている。これに勝てなければ、本物と戦うなど夢物語だ。
「あーあ、これから先、やっていけるのかな~。まだ一度も倒せてないのに」
一週間経っても一向に上達しない事に嫌気が差したのか、いつもよりアメリーの愚痴が多い。楽しいことは得意だが、こういう地道な努力が一番苦手だというアメリーの性格を、ひなたもよく知っていた。
冬が間近に近づいた、朝のひやりとした空気が二人の間を抜けていく。研究棟の、無機質で四角い、白と灰色のコンクリートに覆われた建物の間を通り抜けていくその風は、さらに冷たさを増すかのようだった。
ひなたは少し身震いし、持っていたウールのストールで肩を覆うと、渡り廊下から中庭の方に視線を移す。
研究者だろうか、白衣を着た男性数名が、向こう側の渡り廊下を歩いている。ひなたがなにげなく見ていると、その団体の一人に目が留まった。
二十代後半ぐらいの男性達に混じって、一人、背の低い少年が闊歩かっぽしている。ひなたと同じ年ぐらいだろうか? けだるさを隠すような少し長い前髪と、その間から覗く、空の蒼のようなセルリアン・ブルーの瞳が印象的だ。少年は、チラっとひなたの方を一瞥いちべつする。
無視して通り過ぎるのも不自然な気がして、ひなたは軽く会釈する。だが、少年はすぐに視線を逸らし、そのまま白衣のグループと共に消えていった。
少年は気づかなかったのだろうか? どちらにせよ、ひなたは自分が律儀に会釈してしまったことに、少し後悔を感じる。
「なに今の。感じ悪い~」
ひなたの横に立ったアメリーが、不満をあらわにした高い声で言う。
「そんな、聞こえちゃうよ」
「聞こえるように言ったんだよ~。多分、あいつでしょ? 研究棟にいる十五歳の秀才!」
「あ~、前にそんな話、聞いた気がする」
「きっと周りに持ち上げられて、いい気になってるんだよ~。イヤな感じ!」
アメリーは少年の方に向かって、ベーっと舌を出すと歩き出す。
アメリーはちょっとご機嫌斜めだ。
今日の夜は冷えるみたいだし、カボチャのポタージュを作って一緒に食べれば、機嫌が直るかもしれない。
そう思いながらひなたは少年の後ろ姿に、少し目を留める。だがすぐに、アメリーの後に続いて歩き出した。
「?」と、少年は一瞬振り返った。鮮やかなひまわり色の髪をした少女が、中庭の方に去っていった。
「どうした、高取たかとり?」
「…………。いえ、別に」
その少年──高取肇はじめは、白衣の研究員達に続いて歩き出す。
「……今日もデュプリケートの研究ですか?」
「ああ。そろそろ成果を出さないと、上がうるさいからな」
「……わかりました」
先輩研究員の言葉に、高取は素直なふりをして頷く。
今現在、高取が所属する研究室が着手しているのは、『デュプリケート・カード』こと、エレメンタル・タロットを複製したカードの研究である。
『エレメンタル能力』を持っていない人間でも、『デュプリケート・カード』を使うことで、タロット使いと同じようにアストラルクスに入り、ダエモニアと戦うことができるようにする、そのためのカードだ。完成すれば、二十二人のタロット使いに欠番が出ても、戦う人員を補うことができる。
だが『デュプリケート・カード』を作るには、もっとダエモニアの研究そのものが必要だと高取は思っていた。
ダエモニアはそもそも『エレメンタル・タロット』と対になるカード、『ディアボロス・タロット』から生まれたと言われている。ならば、『エレメンタル能力』を知るためにも、ダエモニアの研究は必須だろう。
でも、自分にはまだやらせて貰えない──。 それは、高取にもわかっている。ダエモニア研究には、第一人者の白井教授がいる。認めてもらうには『デュプリケート・カード』か、他の何かで成果が必要なのだろう、と。
いつか──いや、もっと近いうちに、何か結果を出してみせる。そうすれば、僕にも。
その自信は根拠のないものだったが、確信に満ちている。それが高取の、十五歳という若さ故の自信によるものなのか、自身の頭脳からくる確信によるものなのかは、本人にもよくわからない。
秋の風が吹く。冬はもう、すぐそこだ。
窓を鳴らす小さな風は、少しずつ、強くなっているように感じられる。
セフィロ・フィオーレの校長室で、静かに報告書を書いていたその女性──エティアは、ふと窓の外を見る。あんなにも鮮やかだった中庭の銀杏が、散り終わりを迎えようとしている。
「あの二人はどうだ?」
声の方に視線を移すと、止まり木に静かに佇む、ラプラスという名のカラスがこちらを見ている。
「……まだ少し、早かったのかもしれません」
「あのまま待っていて、どうなったというのだ? どのみち自力で覚醒することはない」
「ですが……」
「この学校の設立目的を、忘れたわけではあるまい?」
言葉を続けようとするエティアに、ラプラスは断ち切るように言い放った。その眼光は深く、鋭く、何者をも寄せ付けない冷徹さを湛えている。
すると、ラプラスの言葉を重ねるように、入り口の方から声がする。
「セフィロ・フィオーレ。表向きは占いの学校だが、『エレメンタル能力』を使うタロット使いを養成するための施設だニャ」
静かに揺れる銀色の毛並み、暗闇に光る宝石のような瞳。シュレディンガーと呼ばれるその猫が、ゆっくりとエティアに近づいてくる。
「一般生徒の中から使えそうな人材を選び、デュプリケートの訓練をさせることも大切だが……もちろん本来の目的は直系を探し出し、育てることだニャ」
その言葉に、エティアは静かに瞳を伏せる。
ラプラスが話を続ける。
「太陽ひなたとアメリー・ラムールは、初めから直系だとわかっていた。ならば、早く覚醒させ、任務を遂行させた方が、組織の為だ」
「我々は、その手伝いをしただけニャ」
「…………」
エティアは、静かに息をつく。
どうやっても、私達はこの運命から逃れることはできないのか──。
そんなことは、もう何年も前からわかっていることなのに、いざとなるとやはり、踏ん切りがつかなくなる。もし、タロット使いが別の道を選ぶことができれば、どれほどいいかと思うが、それは叶わないことだろう。
せめて、自分たちが教えられることは、全てあの子達に伝えよう。自分には、その程度のことしかできないけれど。
雲が動いていく。この秋、最後の風が悪あがきをするようだ、と、エティアは思った。
ひなたの予想通り、夜は冷え込んだ。
学食であまったカボチャを分けてもらい、ポタージュを作ったが、アメリーの機嫌は直らなかった。
結構頑張って裏ごししたんだけどな、と、ひなたはアメリーに言おうとしたが、彼女がなぜ落ち込んでいるかを考えると、仕方ないかもしれない、とも思うのだった。
元々運動が得意ではないアメリーに、魔物を倒すという訓練がきつくないわけがない。
ダエモニアとどう向かいあい、どう動けばいいのか。武器の使い方、相手の動きへの見極め方、攻撃の躱かわ/ruby>し方──。
『エレメンタル能力』もいまいち使いこなせないのに、実際に身体を動かし、敵と戦うのは、一朝一夕でできることではなかった。
「なーんで覚醒なんかしちゃったのかな~」
寮の大浴場で、ひなたとアメリーはぬるめの湯に浸かっていた。大浴場というにはバスタブは狭く、三人程度しか入れない。どこの国の仕様だろうか、厚みのあるバスタブは緑色をしている。壁際には観葉植物が飾られ、床は白と黒の市松模様だ。
さっきからアメリーが、水面で両手を合わせてボコ、ボコ、と何度も泡を作っている。
「明日の訓練、行きたくない~! もうやめたい~!」
言うなり、ぶくぶくと湯の中に潜ってしまった。ひなたは、少し困った表情でそんなアメリーを見る。
「そんなこと言わないでさ。もうちょっとだけ頑張ろうよ」
すると、ガバっと水面から顔を出したアメリーが、むくれたように言う。
「そりゃあさ、ひなたは運動神経いいし、できるようになるのも時間の問題だと思うけど」
「そんなことないよ。私だって、まだ力の使い方もよくわからないし……」
「違うもん!」と、少し怒ったような真面目な顔で、アメリーがひなたを見る。
「わからないのレベルがあたしとは違う! 剣だってちゃんと振れるし、アリエル教官も認めてる」
「そんな……」
「何でひなたはいつも、そんな風に謙遜するわけ? できるんだから、できるって胸張ればいいじゃん!」
「謙遜って……!」
アメリーの言葉に困惑したひなたが見ると、アメリーの瞳に、少し涙が浮かんでいた。
「……どうしたの、アメリー?」
「ごめん……ごめん、八つ当たりだよね……」
次第にアメリーの顔が、涙でぐしゃぐしゃになっていく。
「あたし……訓練になると脚がすくんじゃって……全然ひなたの役に立たないし、それどころか脚引っ張っちゃって……なんとかしなきゃって思うのに、でも怖くて……あーもうなんかぐちゃぐちゃなのぉぉぉわぁぁぁん」
半年以上一緒に生活しているが、こんな風にアメリーが泣いたところを、ひなたは初めて見た。普段はおっとりして、前向きなことしか言わないのに。
わんわん泣きながら、アメリーはひなたの手を握りしめる。
「このままじゃ、あたし、ひなたに迷惑かけちゃう。今……本物のダエモニアと戦ったらひなたを危険な目に遭わせちゃう。もしそんなことになったら……あたし……!」
流れる涙が湯船に沈んでいく。
ひなたは、アメリーの手を握り返す。
「大丈夫……大丈夫だよ。そんなこと気にしなくても。ね? いざとなったら、私が戦って、アメリーを守るから」
「……違う。違うんだよひなた。そういうことじゃないの。あたしは……」
ゆっくりひなたの手を放すと、アメリーは少し淋しそうな表情をしていた。
静かに立ち上がり、湯船から出て行くアメリーを、ひなたは声をかけることもできず、ただ見送るしかなかった。
その夜は眠れなかった。寮の部屋の二段ベッドで、何度も眠ろうと寝返りを打ってみるものの、シーツの擦れる音がするたびに、上にいるアメリーのことが気がかりで仕方なかった。
翌日の訓練は休みだった。ひなたは何となく、二人で部屋にいるのが気まずかった。それは、アメリーも同じようだった。
ひなたが顔を洗って戻ってくると、もうアメリーはいなかった。隣の部屋の女の子に聞くと、洋服を作って欲しいと二人の先輩が訪ねてきて、アメリーは出かけたそうだ。だとすると、家庭科室のミシンを使うだろうから、多分、戻ってくるのも遅くなるだろう。
正直、少しホッとした。
いつものように、自然に振る舞うにはどうしたらいいのだろう?
謝るのも少し違うが、話題に触れなければ、何の解決にもならないような気がした。
その日一日、ひなたは本を読んだ。少し気分が鬱々とするときは、レシピを読むに限る。色とりどりのおいしそうな料理写真を眺めながら、次は何を作ろう、と考えるのは楽しい。それを人においしく食べて貰うのは、もっと楽しい。そう、例えば、アメリーに──。
結局、ひなたが寝る時間になっても、アメリーは戻ってこなかった。そのまま、布団に潜り込み、眠りについた。
夢の中のひなたは、アストラルクスで目玉焼きを焼いていた。寮のキッチンが歪んでいる。歪んだフライパンの上に割った卵は、とても焼きにくい。それでも何とか半熟にして、アメリーに持っていこうとした時、脚下がひどくぐらぐらし、目玉焼きを床に落としそうになった。
「あっ」と思ったその時、ひなたは部屋の中に響く、軽快な英語の音楽で目が覚める。
「GO GO LET'S GO」という歌詞までは何とか聞き取れるが、その先は速くてよくわからない。
「……?」
ゆっくりと半身を起こすと、視線の先にアメリーの背中が見える。いつも着ている水玉のパジャマだ。音楽に合わせて脚を上げたり腰を振ったり、大忙しで身体を動かしている。
「1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)、4(フォー)、はい、ここでターンっ!」
と、音楽が終わる瞬間、アメリーがキメポーズでこちらに振り返った時、アメリーはやっとひなたに気づいてくれた。
「あ、ひなた、おはよ~、起こしちゃった?」
「起こしちゃったって……そのボリュームじゃ起きるよ普通」
「ごめんごめん」
ポンポンを両手に持ったアメリーは音楽を止めた。
「……で、どうしたの」
「じゃじゃーん! これなのです!」
アメリーが自慢げにチラシを差し出す。
「チアリーディング……?」
「そう。昨日、先輩に頼まれて服を作ったら、やらないかって誘われたの。体力つくって言うし、それに、衣装がすっごいかわいいんだよ~! さすがあたし!」
昨日作ったのだろう、得意げに白地に赤と青のラインが入ったユニフォームを見せる。
トップスはビキニスタイルで、ボトムスはスカートの、セパレートタイプだ。
「スカート短い! もしかしておへそ出すの?」
「あったりまえじゃない。動きにくかったら意味ないんだし。はい、これひなたの分!」
アメリーは自慢げに、ユニフォームをもう一着ひなたに見せる。
「えっ! ちょっと待って、それって……?」
「入部届はあたしが出しといた。練習は、今日の放課後からだって!」
ニッコリと微笑むアメリーの顔が、ひなたには悪魔のように見えた。
「はい、もっと脚を開く! 1、2、3、4!」
ダンスホールに、先輩の声が響くと、それに呼応するように、少女達の声が響く。
放課後、必死の抵抗も空しく、ひなたはアメリーに連れられ、チアリーディング部の本拠地であるダンスホールに来ていた。セフィロ・フィオーレには、体育館はなく、昔の洋館の名残であるダンスホールを代わりに使用している。
ひなたとアメリーは、整列する部員達の一番後ろで、基本のランジと言われる動きを、
音楽に合わせて練習中だ。
「動く度にひらひらする……」
「気にしなーい。ここには女の子しかいないんだからさ」
「こんな裸同然の服で踊ってるなんて、死んだおばあちゃんが見たら何て言うか……」
「きっと喜んでくれてるって」
笑顔でアメリーが脚を横に開いた途端、引きつったような表情になった。
「うううっ……か、身体が硬くて脚が……」
力一杯、脚を横に開いているつもりらしいが、アメリーは肩幅以上脚が開いていない。
「そこの二人! もっと笑顔で!」
「はいっ!」
二人の元に、怖い顔をした先輩が寄ってくる。髪の毛を後頭部でシニヨンにしているその人は、食堂でアストラルクスのことを教えてくれた先輩だった。二人とも名字は知らなかったが、部員はまゆ先輩と呼んでいた。アメリーに洋服作りを頼んだのも、まゆ先輩だったらしい。
まゆ先輩は、ひなたの横に立つと、恥ずかしさから猫背になったひなたの背中を、ぐっと手で押した。
「チアはみんなを応援するためのものよ。心を一つにしようとする気持ちが大切なの」
「は、はい」
ひなたはピッと背中を伸ばした。
まゆ先輩は、そのままアメリーの片脚を引っ張る。股関節が伸びる痛みに、「うっ」とアメリーの顔が歪んだ。
「それから、チアで注意しなくてはいけないのはケガ。常に集中すること。ストレッチをして、身体をほぐして……練習中も、お互いを気をつけてあげないと」
「はい……!」
筋が伸びる痛みに耐えつつ、歪んだ顔でアメリーは返事する。
「笑顔!」
「はいっ!」
まゆ先輩の号令に、二人は反射的に笑顔を作った。
その日の夜は、チアリーディング部の一年生達と、寮のダイニングでアジア風カレーを食べた。ココナッツミルクがベースになっている。もちろん、ひなたお手製だ。前の日に読んだレシピを試し、作ってみたのだった。
ひなた、アメリーを含めた五人のチアリーダーは、美味しそうにカレーを頬張っている。団らんの楽しさから、自然と話も弾んでくる。
「チアってお腹空くね」
「あたしは筋肉痛がひどい! とくに脚が動かなくて、ロボットみたいになってるよ~」
情けなくアメリーが言うと、みんな一斉に笑った。
「慣れないうちは仕方ないよ」
部内一、快活で元気、ツインテールのサチがフォローする。
「アメリーは身体硬いけど音感いいし、ひなたは運動神経いいから、二人ともすぐうまくなると思う」
ショートカットでハスキーボイス。猫目の久美子が褒める。
「ほんとうに、二人が入って、よかったよぉ。今まで、部員が、少なかったし」
ちょっとだけぽっちゃり、ボブカットの蘭が、笑顔でひなたとアメリーを見た。
「これからもよろしくね!」
「チアに大切なのは団結。これからは、お互い何でも話そう。隠し事はなしだぞ!」
「えっ……」
その言葉に、思わずひなたとアメリーの顔が強ばる。
「えー、ちょっと、なになに?」
「何かあんのー? 彼氏とか?」
「教えて教えて!」
「……そんなんじゃないよ!」
「そうそう。一緒に頑張ろう~!」
ニコッと、三人に笑いかけた。
だが、寮の部屋に戻ったひなたとアメリーの表情は、明るいものではなかった。
二人は床に座り、寝る前にルイボスティを飲んでいた。アメリーが実家から持ってきたちゃぶ台に置かれた二つのカップから、ゆるく湯気が立つ。
「隠し事はなし、か」
「最初から破っちゃってるね……」
「うん……」
ひなたとアメリーは、エティアから、アストラルクスのことを口止めされていた。覚醒のことも、それに伴う朝の訓練も、ダエモニアのことも。
「もし万が一、あなた方がこのことを話したその時は──」
そう言った時のエティアの顔が、珍しく怖く見えたため、それ以上は聞けなかった。もちろん、誰にも話す気はない。
「……なんか、みんなを裏切ってる気分。何で覚醒しちゃったのかな~。こんな大変な思いして……」
「でも、このことが人助けに繋がるんだもん。私達がやらなかったら……どうするの?」
ひなたの真面目な言葉に、アメリーは小さく息をつく。
「そうだね……みんなの分も、あたし達が頑張らなくちゃ」
うん、と二人は頷きあう。
みんなが、幸せになれるなら。私達にできることがあるのなら。
それからひなたとアメリーの日々は、さらに忙しくなった。朝はダエモニアを倒すための訓練、放課後はチアの練習と、身体を酷使し、アメリーもひなたも全身筋肉痛になった。だがそれも最初だけで、慣れてくるにつれて、身体のバネも柔らかくなってきた。
しかし、一番変わったことはもっと別の事柄だった。あれほど、運動は苦手で、辛いだの疲れるだの、文句を言っていたアメリーが、まったく愚痴をこぼさなくなったのだ。
アメリーはこの一週間、ひなたより先に起きて、一人、チアの練習をしているようだった。もしかするとアメリーは、チアを頑張ることで、みんなの想いを背負おうとしてるかも、と、ひなたは慮おもんばかる。
直系であることを知った時から、みんなとは違うかもしれない、という予感と、少しの優越感。だがそれを上回る不安と孤独。これまで、ひなたとアメリーは、お互いにその境遇を話すことで、同じ直系ならではの感情を共有してきた。
だからわかる。仲のいい友達に隠し事をしなくてはならない淋しさ。少しでも自分が何かを──チアを練習したり、ダエモニアを倒すよう訓練したりすることで、友達の役に立てるのなら、やれることはやろうとするその姿勢。柔らかい花のような笑顔の奥に、芯の強い想いを秘めているのだろう。
理屈ではなく本能で知っているのかもしれない。直系が背負うべき、その責任を。
踊る。踊る。ひなたもアメリーも。
チアの音楽に合わせ、明るく響く応援のかけ声。宙へ一直線に伸びる腕。一糸乱れぬその動き。
スタンツで高く高く飛び上がる。高く高く。
ダイナミックにしなやかに。
上に乗るアメリーもひなたも、下で支えるみんなを信じている。だから高く飛べる。
この想いが誰にも伝わらなくても構わない。
私は知っている。アメリーの想いを。
アメリーは分かっている。私の気持ちを。
「二人とも、だいぶ動きがよくなってきたな」
珍しくアリエルがひなたとアメリーにそう言ったのは、覚醒してから一ヶ月ほど経った、寒い朝だった。
今日もあと一歩、訓練機のダエモニアに及ばなかった。だが、ひなたもアメリーも、覚醒してすぐの頃とは比べものにならないぐらい、速く動けるようになっていた。
「あともう少しすれば……ダエモニアを倒すこともできるだろう」
その言葉に、エティアも頷く。ひなたとアメリーは嬉しそうに手を取り合って喜ぶ。
「やった~! やっとここまで来たよ~!」
「うん!」
「一度、実戦を経験するのもいいかもしれませんね」
「そうだな。……では、二週間後に、私とエティアが戦うサポートをしてもらう。いいな」
「はいっ!」
明るい声でひなたとアメリーは返事した。
「かんぱーい!」
オレンジジュースの入ったグラスを合わせる音が、寮の食堂に響いた。初陣が決まった、そのお祝いだった。
ひなたとアメリーの目の前には、トマト・ファルシが置かれている。挽肉にタマネギ、タイムを混ぜ、中をくりぬいたトマトに詰めて焼く。これはアメリーの母親の得意料理で、お祝い事があると、必ず作ってくれたらしい。いつも料理を作るのはひなたの役目だが、今日に限っては、アメリーが作ると言ってきかなかった。たまに作らないと忘れちゃう、とアメリーはいたずらっぽく笑った。
「おいしいっ!」
一口食べた途端、口に広がるトマトの酸味と肉汁のうま味が、ひなたの心をぎゅっと掴んだ。人が作るご飯は、どうしてこんなに美味しいのだろう。
「ありがと。でも、これしか作れないんだけどね~」
アメリーは照れくさそうに笑った。
食が進むにつれ、自然と初陣の話になる。
「再来週には、本物のダエモニアと戦ってるかもしれないのか……」
「エティア校長とアリエル教官がついててくれるらしいけど……あたし、大丈夫かな……?」
「とにかく、やれることをやるしかないよ」
「実戦って、余津浜の街に出て戦うんだよね?あんまり土地勘ないから、脚を引っ張らないようにしなきゃ」
そう言って、アメリーが付け合わせのカブのソテーを口に運んでいる。
「それだ!」
「えっ、カブ?」
「そうじゃなくて、土地勘だよ!」
首を傾げるアメリーにひなたは大きく頷く。
土地勘。ひなたが提案したのは、余津浜の街を詳しく知ることだった。
「地の利は絶対にあった方がいいと思う」
小春日和の、澄み切った冬晴れの日曜日。
ひなたとアメリーは、寮から正式に許可を取り、地図とガイドブックを見ながら、余津浜の街を歩くことにした。
午後から気温が下がるという天気予報に、アメリーは防寒対策に、とマフラーを首に巻いていた。トリコロールの縦縞が、全体的に抑えた色調のファッションによく合っている。
ひなたは、アメリーに貸して貰った、白と紺の細めのマフラーを巻いていた。二人は時々、持っている服を貸し借りすることもある。
二人が歩く休日の余津浜は、人の波でごったがえしていた。
「さて、どこから見る?」
「えっと、最初はシュウマイ食べて、それから月餅でしょ~? お昼になったら点心の食べ放題があるから、それ食べて、それから……」
「も~、遊びじゃないんだからね」
「そんなこと言ってひなたも楽しむんでしょ?」
「……まあそうなんだけどね。でも、今日は食べるのはあとで! どこに何があるか、ちゃんと把握しなくっちゃ。余津浜のこと、いっぱい知ろう!」
以前、寮に来たすぐの頃、ひなたとアメリーは二人で散策したことがあるが、その時とは違う視点で見ることを心がけた。ガイドブックを読むのにも気合いが入る。
余津浜の名前の由来は、その昔、四つの浜が存在していたかららしい。うち、二つは埋め立てられている。その埋め立て地に立ち、地図の上に印を付ける。
余津浜駅周辺には、デパートがたくさん存在し、近代的な顔を見せている。ここで戦うのは、なるべく避けたい。また印を付ける。
役所が集まるビジネスエリアには、キングと呼ばれる官庁、クイーンと呼ばれる税関、
ジャックと呼ばれる歴史記念館があり、日が沈む頃、三つの建物が全て見える場所に立つと、願いが叶うこと。戦いでうっかり壊したら大変だ。ここでは戦えない。印を付ける。
伊毛先と呼ばれる地域には、昔ながらの繁華街が広がっており、余津浜の別の顔を覗かせている。ここも人の往来が激しい。
中華街に建てられている、色鮮やかな牌楼は、東西南北に十基。そんなにたくさんあるのかと驚く。貴重な文化財だと胸に刻んだ。
「あ、見て見て! これかわいい~!」
中華街に向かう道の途中、ひなたが振り返ると、アメリーは雑貨店で脚を止めていた。
店の入口近くに並んだ、赤い水玉のリボンをじっと見つめている。
「水玉かぁ」
「これ、買う。お揃いで。踊る時の衣装用!」
「えっ!」
ひなたが驚いている間に、アメリーはずんずんと、二つのリボンを持ってレジに進んでいく。相変わらず、直感による決断力の早さには驚かされる。
「自分の分、払うよ」
「いいの! これはあたしが欲しかったんだし、ひなたにも着けて欲しかったんだから」
アメリーは水色の紙袋をひなたに渡し、ニッコリと微笑んだ。
歩き疲れた二人は、中華街から少し外れた場所にある、海の見える公園のベンチに座った。ほかほかの肉まんを食べながらアメリーがため息をつく。
「はぁ~、一日じゃ回りきれないよ~」
「でも、だいぶこの町のこと、わかってきた」
ひなたも片手で肉まんを食べながら、もう片方の手はメモ帳を見つめている。
「これでアストラルクスに入っても、どこに何があるかわかると思う」
「さっすがひなた! マメだよね~」
「だってアメリーは苦手でしょ?」
「うん!」
「まったくもう……」
ひなたは、食べ終えた肉まんの紙を、丁寧に畳んでバッグにしまうと、ウエットティッシュをアメリーに渡した。
「ホント、ひなたは用意周到だね~」
「その言い方、褒めてないでしょ」
「褒めてるよ~。ひなたはいつも、あたしにとっては完璧だもん」
「完璧って……」
「でもね……その完璧さが、時々……本当に時々だけど、苦しくなっちゃう時があるの」
「えっ……」
アメリーの言葉に、思わずひなたはそちらに向く。アメリーの瞳には戸惑いの色が見える。今から言う言葉を、話すべきが、飲み込むべきか、迷っているようにも見える。
「ひなたは真面目だし……自分が出来ないことは、努力で何とかしようとするでしょ?
それは……本当にすごいなって思うの。あたしには真似出来ないことだから……。しかもひなたは、あたしの事もよくわかってる」
淡々と、だが言葉を選ぶようにアメリーが話す。ひなたには、アメリーが言いたい真意が、まだわからない。
「前にね、お風呂で言ってくれたでしょ? あたしがピンチになったら、ひなたが守ってくれるって……あの時、嬉しかったけど……でも、違うなって思った。あたしは、ひなたに守って欲しいわけじゃない。一緒に戦いたいんだって。だから、チアも始めようと思ったの。少しでも、ひなたに追いつけるように。一緒に戦えるようにって」
その言葉に、ひなたはハっとした。
今まで、心のどこかで、アメリーは自分より弱いものだと思っていた。
いや、弱い、というと語弊があるかもしれない。
アメリーは運動が苦手だ。人それぞれ個性があり、得意不得意も違うのだから、それは仕方がないことだ、と、ひなたは思っていた。ならば、運動が得意な自分が、アメリーを庇護すればいいのだと。
だが、戦うとはそういうことではないのだ。どちらかがどちらかを守ることでもなければ、依存することでもない。お互いがお互いの足りない部分を補い合い、対等になってこそ、一緒に戦うことができるのだ。
それなのに──ひなたはアメリーを守ることしか考えていなかった。アメリーの向上しようという努力を、知らないうちに無視していた。
「ごめん……私……」
ひなたはつぶやくので精一杯だった。胸の中に、自分が思い上がっていた恥ずかしさと、アメリーの悩みに気づかなかった自己嫌悪が、マーブル模様のように複雑に混じり合っていく。その顔は、自ずと下を向いていく。
「違うんだよ、ひなた。別に責めてるんじゃないの。ただ、あたしが覚悟を決めなきゃいけないなって思ったから……。ごめん」
アメリーの顔も、自然と俯うつむき加減になる。
それからひなたとアメリーは、言葉を繋ぐことができなかった。
実は、こんな風に意見を言い合ったのは初めてだった。今までは、お互いが不満に思うことは、何もなかったのだ。ひなたはアメリーの性格を受け入れていたつもりだし、それはアメリーも同じだった。
柵の向こうに海が見える。海鳥の声が遠くで小さく聞こえていた。
「でもね」
少しの沈黙の後、アメリーが口を開いた。
「だから、一緒に戦えるように……必殺技を考えたいの!」
「えっ?」
聞き間違えたのかと思い、ひなたはアメリーを思わず凝視する。
「必殺技だよ、必殺技! 二人で敵を倒す技を作るんだよ! チアの動きをアレンジして!」
「……アメリー、正気? まだ実戦もやってないのに」
「正気も正気! 大まじめだよ。せっかくチアを始めたんだし。……それに、チアの技なら、みんなの想いを汲めそうな気がして……」
「みんなの……想い……」
それが何を意味するのか、ひなたには何となくわかった。
同じセフィロ・フィオーレに集った仲間として、何か証を遺したいということなのだろう。みんなには言えない戦いだけど、だからこそ、必殺技でみんなを身近に感じたい。
「わかった。やろう」
ひなたは思わず、ベンチから立ち上がった。
アメリーも立ち上がり、二人はしっかりと両手を握り合う。
「動きの連携は、あたし、考えてみる」
「じゃあ、武器の使い方とかも、お互いできるようにならないとね」
「見た目も派手なやつ! エティア校長とアリエル教官を驚かせよう~」
「賛成!」
その時、港に停泊していた船の汽笛が、低く鳴った。それはまるで、二人のこれからを祝福する賛美歌のようでもあり、また、レクイエムのようにも聞こえた──。
休日の研究棟は、いつもの無機質さをより一層、際だたせている。
だが、その静けさが高取にとってはとても心地よかった。煩わしく人と会話をしなくていいし、なにより、静かで集中できる。
研究室に入ると、高取は本棚の鍵を開け、慣れた手つきで取り出した本を両手に抱える。「遊びたい盛りなのに、研究ばかりさせられて大変ね」と、寮母に言われたことを思い出した。
普通の、自分と同じ年頃の少年のように、遊びたいと思ったことはない。自分にとっての遊びは研究であり、他のことにはあまり興味がない。
そんな風に伝えると、寮母は悲しそうな顔をする。もっといろいろな経験をして、まともな大人にならないとダメなんだそうだ。
まともって、何だろう?
研究でいろんなことを発見するのは、まともなことじゃないんだろうか?
それとも、タロットカードの研究が、まともじゃないっていう意味なんだろうか?
考えるとキリがないので、このあたりでやめておこう、と高取は思う。
寮母に言わせれば、高取は「母性本能をくすぐる」タイプらしい。だが、寮母に何を言われようとも、休日の研究は、これからも止めないだろう。
そう、自分にとって今、一番興味のある研究対象──ダエモニアのことがわかるまでは。
高取はダエモニアに対して、一つの仮説を立てている。もし、これが立証できたとしたら──。
「ダエモニアは……」
ぽつり、とひとり、つぶやく。
考えただけで鼓動が速くなるのを、高取は感じていた──。
〔3話へ続く〕
気持ちを新たにダエモニアとの戦いに向かう。
しかしその衝撃の正体はTVアニメ第2話で明らかに!